徒然なるままに

長文を書く練習

時そば

 

皆様、お久しぶりです。

最後に記事を書いてもう三年が経とうとしてるんですねー。ビックリです。

 

この三年の間に色々な事がありました。

結婚式を上げたり、愛知県へ単身赴任してたり、娘が生まれたり単身赴任を終え帰ってきたりと。

 

まぁまぁ充実した3年間だったと思います。幸い、大きな怪我も病気もしませんでしたし。

 

でね、世の中は緊急事態に陥っておられますし、やることも無いのでまたブログでも書こうかなと思った次第でございます。

コロナについては書いたところで事態が良くなることもないでしょうし暗い話になるのでね。

 

そもそも私のスタンスは、私の知ってる知人友人家族が無事ならそれ以外のことは知っちゃこっちゃねぇていう感じなので。この記事を読んでくださった人が元気ならそれでいいんです。

私はやれることをやるだけです。手洗いうがい、人に会わない、外出しない。

みんなで辛抱して、頑張りましょ。

 

さて、コロナはこれくらいにして。

 

 

FEZです。

 

単身赴任から戻ってきたのでちょくちょく戦争にも顔をだしてます。

もうね、本当に声を大にしていいたい。

 

メテオ消そ????

(メテオ皿メインの人ごめんなさい🙏)

 

いやね、短剣やってても大剣やっててもメテオ超痛いほんと痛い。でさ、メテオムカつくから自分もメテオやったらぁ!と思ってメテオ皿やるじゃん。

 

5分で飽きる。

メテオ皿メインのかた申し訳ございません。

 

なんなのあれ。

私が遠距離向いてないとは言えもうちょい楽しいと思ってたんだけど。

 

あれだったら昔やってた盾ヘルのほうが楽しいよ!!!(

 

てか盾皿いつの間に消えた?!

楽丸さんのメイン職があああああ。

 

てなわけでね、30過ぎてもFEZ楽しんでます。

良かったらみんな一緒にやろうよ。FEZおもろいよ。

 

おしまい。毎日更新できるかな。

 

 

 

サンシャイン池崎

 

 

昨年の大晦日は実家にて過ごした。

 

だからなんだよと思われるかもしれないが、実家で過ごしたのはいつ以来だろうか。

 

去年一昨年その前の年は、職場で年を越したと思う。

 

その中でも一昨年の年越しは最下層ランクの年越しだった。

 

昨年の一月に転職をするまで、私は日本の真ん中でホテルマンをしていた。夜がない街と言われる東京某所。一日中観光客で賑わい、日本語英語中国語韓国語その他の言語が飛び交う。そんな街で働いていた。

 

ホテルには一応シーズンがあり、GW、お盆、年末年始は本当に忙しい。この年の私も例を違わず、忙しく過ごしていた。

 

うちのホテルは大体、天皇誕生日から成人式位までは休みなく働き(上司は休みをとっていた気がするが)1月の二週目に少し休みを貰える。

 

そんなシフトの真っ只中だった。

 

フロントは宿泊客の対応で忙しいのだが我がレストランは閑古鳥が泣いていて、メニューを見にもこない。それでも17時~22時の営業時間内に2組だけお客様が来た。

 

そのうちの1組は陽気なアイリッシュで、お酒の話やら音楽の話で盛り上がった覚えがある。(シェインはクソ野郎だwwwwって言ってたwwww)

 

もうひと組が最悪だった。

 

阿佐〇谷姉妹にソックリの2人組。今でも覚えている。

 

「夜景の綺麗な席はありませんか?」

 

そう言われてしまえばサービスのしやすい手前側のキッチン近くでなく、奥にある所に案内せざるを得ない。

 

「今日は年末なのに取っておきの席が空いてますよ!どうぞ。」

なんて調子のいいことを言って席に案内した。

 

サービス対応はバイトに任せて、私は年末の締め作業及び、月末の締め作業を事務所でやっていた。

 

そう言えば上司はいなかった気がする。何でだろう。

 

うちの店は9:30ラストオーダー。10時閉店。やる気のないビジネスホテルだかラブホテルだかわからない中途半端なホテルのレストランなんて、そんなもの。年末だろうがクリスマスだろうが10時にはお客様におかえり頂く。(今考えればひでえ店だ。)

 

ところが。

 

10時過ぎても帰りゃしねぇ。月末作業もしなきゃならないし年次の更新もしなきゃいけない。時間が無いのだ。社畜には。

 

「お客様、当店は10時閉店でございます。申し訳ございませんが、ご支度をお願い致します。」とかなんとか言って帰宅を何回か促したが一向に動きなし。まぁ、会計貰ってるし適当に帰ればいっか。なんて思いながら、バイトの子に食器だけ下げさして月末処理、年末処理をポツポツとやっていた。

 

事務作業をほぼほぼ終え、さぁほんとにそろそろ帰らないとお兄さんきれちゃうぞー?とか思ってた10時50分頃。

 

「ご馳走様でしたー」

 

と明らかにおかしい様子でささーっと帰る阿佐ヶ〇姉妹。

 

んだ、あいつらー。ま、いっか、さっさと片付けて帰らないと明日も6時から仕事。家帰って年越しFEZしてちょっと寝て地獄の18時間労働じゃこらー!とか思ってた矢先。バイトの子が

 

「副店長!(私一応副店長だった)席の下が汚れてます!!」

 

なんだって?まぁワインでもこぼしたんだろ、結構飲んでたからなハハハ。なんて、思いながら近づく。

 

明らかな異臭。

 

目に映った光景は地獄の様。

 

嘔吐物が散乱する特等席。

 

「…」

 

明日は7時から朝食。この異臭が広まったらクレームどころの騒ぎではない。

そもそも、ウイルス的な問題でそれどころじゃない。

 

完全隔離した上で殺菌処理しないと、明日の朝食が開けない。

 

そこからは本当に地獄だった。

熱湯をかけ、アルコールとイオン殺菌機でひたすら除菌除菌。乾いたら熱湯を掛け、アルコールとイオ…

 

気づいたら新年。しかし、俺の仕事は延長戦。2015年12月31日の仕事はまだまだ終わらない。

 

結局おわったのは12月31日28時。

 

それから全然関係ないんですが、阿佐ヶ谷姉〇が嫌いです。(完全なる風評被害)

 

そんなことをなんでか、サンシャイン池崎を見て思い出しましたとさ。

 

お酒は飲んでも呑まれるなだぞ!☆彡

 

おあとがよろしいようで。

 

 

長文を書くという行為の機会損失

 

私は今年で30歳になる。

30歳といえば中学時代に前略プロフが流行り、高校生の時にはライブドアブログ全盛、若しくは魔法のiらんど全盛、そして高校卒業と共にmixiが爆発的に流行り、大学4年生辺りからTwitter、若しくは顔本に移行していったまさにSNS世代。

私も一通りやった。前略プロフ魔法のiらんどライブドアブログmixiTwitter

 

最近はTwitterのみ、それも自分からはあまり発信しない所謂ROM専(現在この言い方というのは生きているのだろうか。)というやつだ。

 

先日、昔お世話になった人に手紙を書く機会があった。

 

小学校3年生から中学校2年生まで、英語を教えていた先生に結婚の報告も兼ねてエアメールをだしたのだ。

 

Dear 〇〇先生。お久しぶりです。お元気でしょうか。なんて書き始めから書き始めた手紙は5分でネタがつき、書く手が止まった。いや、ネタがない訳では無い、うまく文章で説明できないのだ。

 

そもそも私は基本的に長文を書くのがとても下手だ。起承転結を意識しても物事の事象をうまく説明出来ない。日常会話でも説明するのがとてもへたなのだ。

 

それでも昔はもうちょっとうまい言い回しが出来ていた気がする。

 

なぜか。

 

ここで表題がでてくる。

 

長文を書くという行為の機会損失である。

学生の頃はレポートもあり、長文を書くことは珍しいことではなかった。更に私達アラサー世代はmixiライブドアブログ黒歴史を長文にしていたはずなのだ。少なくとも私はしていた。ところが社会人になり今まで、長文を書くスキルを求められることがなかったのである。

 

継続は力なり。下手なことも続けていれば少しマシになる。

 

さらに若い時はしっかりとした文書が書けなくてもネタと情熱でなんとかなる。実際何とかなっていた。

 

ただ、今の私は29歳。厳密に言うなら29歳と5ヵ月。そしてあと7ヵ月で、

 

30歳

 

である。

 

若いからという言い訳が通じなくなり、出来ないことが可愛さから憎しみ哀れみに変わっていく歳になってしまう。(20代でも可愛くはない。しっている。)

 

どけんかせんとあかん。

 

ということでブログ始めました。

 

良かったら見てください。日々、練習のつもりで書きなぐります。よろしくお願いします。

 

今日の1枚↓↓↓

 

Covered

Covered

 

 

レーベルBluenoteって言うのが最高。